2011年3月31日木曜日

計画停電を遠くから見る


この写真は,3月25日の第2グループの計画停電前後の様子をうちの大学の八王子校舎5号館9階から写したものです.上が停電前,下が停電中.

近くの光はあまり変わりませんが,遠くが暗くなっているのが分かるでしょうか.

停電が始まる直前の時間に,思いついて5号館の9階まで上ってみることに.何度か緊急放送が聞こえたあと,一斉に広い範囲の電気が消え,停電に入ったことが分かりました.なかなか見る機会のない光景なので,印象的でした.

停電地域でも一列に連なって見える光は,おそらく自動車のヘッドランプです.また一部のマンションは自家発電設備を持っていて,停電後も明かりがついています.

2011年3月30日水曜日

微妙に違う情報・40歳以上の甲状腺がん

「40歳以上については、放射性ヨウ素による被ばくによる甲状腺がん等の発生確率が増加しない」

のと,

「甲状腺がん:40歳以上の発症率低くヨウ素剤を飲む必要なし」

というのは意味が違います.Wikipediaの記事によれば,甲状腺がんは40歳以上に多発するそうです.だから「40歳以上の発症率低く」は間違いです.

では冒頭の記述はどういう意味かというと,被爆した人としていない人とで,甲状腺がん等の発生確率に差がない(理科系の言い方ですと「有意な差が認められない」)ということです.

ことこの放射性物質の影響については,チェルノブイリ原発事故のために被爆した方々がたくさんいるため,統計データの信頼性が高いとか.不幸な事件ですがそのような方々のデータが我々の生活に使われ,役だっているということです.

金野は現時点で41歳で,6月に42になります.放射性ヨウ素による被爆の影響はなさそう.

放射性物質の混じった雨を頭に受けたら,髪の毛が薄くなる心配はないのだろうかと小林先生に話をしたら「それならどっちかというと酸性雨を気にしないと」と言われました.そうですか.そうですね.

2011年3月29日火曜日

学位授与,2010年度

2010年度の学位授与式は,式典と祝賀会を取りやめ,19日に学位記の手渡しと各賞の伝達・授与などのみに限って行われました.

例年ですと卒業する学生がほぼ全員参加するのですが,今年の参加は6,7割といったところでしょうか.左の写真には写っていませんが,部屋の左側の島は前の2列を除いて空っぽでした.
震災の影響で大学まで来られないとか,来たら帰宅できないかもしれない,などの理由で欠席した学生さんがいたようです.

研究室の打ち上げも中止.18階で少しだけ喉を湿し,お開きとなりました.

残念ですが,こればっかりは仕方ないです.式典の中止を決めたときには,計画停電や,公共交通機関の運休が考えられましたから.(この日は結局は計画停電は実施されず,電車も動いていましたが.)

卒業していく皆さんは,これから会社や大学院で実力を試されることになります.大きな災害が起き,人や物がたくさん失われたいまほど,技術者の力が求められている時代はないでしょう.4月から新しい場で努力研鑽を重ねてほしいと思います.

2011年3月28日月曜日

仮の(?)スタンディングディスク

きっかけは9日に腰を痛めたことですが,たまたまそれ以前にGina Trapaniがstanding deskに切り替えたという記事を目にしていました.彼女は減量を主な目的としてスタンディングデスクに切り替えたそうです.

スタンディングデスクというのは,要するに立ったまま仕事をできるように,高い位置に作業スペースがある机です.まっすぐ立って,肘を自然に90度ぐらいに曲げたときの手の高さに,机の面が来るようにします.
座ったままの姿勢は腰に悪く,また運動不足になりがちなので,立って仕事をした方が体によい,という考えに基づいています.

9日に腰を痛めて,いちど座るとなかなか立てない体になりました.(いまは良くなっていますが.)
それならなるべく立っていた方が,腰にも運動不足解消にもいいんじゃないかと考え,10日に病院に寄ってから職場に行ったとき,改めてGinaの記事を読み直しました.そして周りを見回すと,普段はPCを置く棚として使っている古いパソコンラックの上の面が,だいたい金野が立ったときの肘の高さにあり,使えそうだと分かりました.

その日はとりあえず実験室からあまったベニヤ板を持ってきて,机の上にシャコ万で固定してみました.机の剛性に不安があるものの,高さはおおよそ理想的で,立ったままPCに向かったり,書類を書いたりの仕事ができます.これなら何とかなりそうだ.

というわけで,予算の残りを使ってベニヤ板と安い杉の棒材,それにデスクマットと台を買ってきて,16日に写真のような仮住まいのスタンディングデスクを組み立てました.

上面のベニヤは幅600 mm × 奥行き620 mmで,やはりシャコ万を使ってパソコンラックに固定しています.その上にデスクマットと台を置き,台の上にPCモニタを置いています.モニタを台に乗せたのはだいたい顔の高さに来るようにするためです.

それから,パソコンラック上面の支えを補強するため,棒材を縦にはめ込んで柱にしています.ベースが安い金属のラックなので,柱がないとたぶんいつか座屈します.なので荷重を直接下の台に伝えるようにしました.

もともと筋交いのないラックなので,これでもまだ左右にせん断する方向の剛性が足りないように感じますが,当面は持つでしょう.

幅60 cmしかないのは狭いですが,キーボードが小さいので,何とか使えています.

まだ使い始めて間もないのですが,とりあえず立ったまま仕事ができるので,腰を痛める恐怖心からある程度解放されたのはありがたいです.
これ以上の感想はまたそのうち.

2011年3月26日土曜日

計画停電

東北関東大震災のため電力供給が大幅に不足しているということで,東京電力が計画停電を実施しています.

金野は15日の夕方から夜にかけて,最初の計画停電を経験しました.八王子市からの市内放送で停電の予告があってから,しばらくして電気がばしっと切れて,真っ暗に.
ノートPCだけが明るく光っています.

ノートPCで仕事を続けることもできたのですが,この日は布団に入ってうたた寝していました.

金野は工学院大学機械工学科の,エコエネルギーコースの教員です.だからというだけではないですが,エネルギーの問題にはとても関心があります.
去年の文化見学会でも,講演の中でエネルギー需要などに関して触れ,「原子力とどうつきあうか? 今回の講演では触れませんが,重要なテーマです.」と述べました.ここの部分に関心を持っていただき,その後に質問を受けたりもしました.

エネルギーの問題はとても大きく,何とかしなければならない.研究者・技術者の端くれとして,何らかの貢献をしたいのですが,いまは停電を受け入れるぐらいしかやることがありません.
…がんばろう.

2011年3月25日金曜日

みずほ銀行にトラブル.お給料が…

みずほ銀行が先週末にシステムトラブルを起こし,いまはかなり復旧してきたようですが,23日昼の時点でもまだ振り込み処理ができていないものが数万件あると報道されています.

これ,金野にも影響がありました.23日昼の時点で,先週末支払いだったはずの3月のお給料が振り込まれてない!!
がーん.

ちなみに,先週末の振り込みはなかったものの,23日の振り込み(立替払い金の払い戻し)は行われていました.
23日の夜の時点ではまだ振り込まれていませんでしたが,24日の朝に確認したところ,振り込まれていました.夜中にがんばって復旧したものと思われます.

八王子市が東北関東大震災被災者への支援義援金を募っているので,お給料が振り込まれたら幾ばくか振り込もうと思っていたのですが,義援金の振り込み口座がみずほ銀行….
他のルートを使った方がいいかなぁ.それとももう大丈夫か.迷います.

2011年3月24日木曜日

食い扶持

20日に,実家のある一関まで,東北本線が復旧しました.
遠回りになりますが,東京から秋田経由で実家まで帰ることができるようになった,ということです.

そこで21日に両親に連絡してみたところ,丁寧に断られました.
あまり食べさせてやれないから,ということのようです.つまり食い扶持が増えると困るということですね.
ほしいものがあるか聞いたところ「ガソリン」だそうです.うーむ,それは背負って持って行くことはできないなぁ.

金野も被災地を何らかの形で支援したいですが,まずは義援金などのお金.状況が許せば手元にある物資などを送ることができるかも.その次は?

…やっぱり頭を使うことしかないですかね.
腰痛持ちが体を提供しても役に立たない.脳みそはいくらか役に立つかもしれない.
いま,東日本では電力が逼迫しています.つまりエネルギーの問題.
エコエネルギーコースの教員としては,エネルギー効率の良い推進方法を研究するとか,まぁ内容はともかく研究を通して社会に貢献することが求められているものと思います.

うちの大学では,他大学と連携して社会貢献教育を展開しています.社会貢献学会も立ち上げました.支援ボランティアの募集も行っています.
まずは日常の研究生活を地道にがんばりつつ,これらのルートも使って何らかの貢献をしたい.

2011年3月23日水曜日

カメラを交換・旧カメラ

年度末にカメラを交換しました.

この写真は以前のカメラ,Ricoh Caplio G4 Wideを新しいカメラ,Panasonic Lumix DMC-TZ10で撮影したものです.

デジタルカメラは多くの会社からいろいろな種類が出ていて,何を買ったらいいのか迷います.今回TZ10にした理由は,研究室で昨年度に購入したDMC-TZ7が活躍しているので,同じ系列のカメラにしたからです.加えて,すでにDMC-TZ20という後継機種が発売されていて,価格が下がっているのも購入に踏み切るきっかけとなりました.

それにしても,Caplio G4 Wideにはお世話になりました.金野の日記にこれまで掲載してきた写真のほとんどが,このCaplio G4 Wideで撮影したものです.最近ズームボタンを押してもズームしてくれないことがあるのが,購入に踏み切るもう一つのきっかけでしたが,それまでは元気に動いてくれていました.

長く使ったので,あちこちがすり減って黒いプラスチックの色が出ています.
新しいカメラも,同じぐらい大切に長く使いたいものです.

2011年3月22日火曜日

突然の腰痛

地震が来る2日前の3月9日.
新宿校舎に勤務していて,17階から12階まで階段で下りて用を足し,そこから17階に戻ろう階段を上る途中のこと.腰から右太腿にかけてぎゅーっと絞られるような,引っ張られるような感覚が走り,足に力が入らなくなりました.

初めての経験.手すりにつかまり,腰をかがめたまま,しばらく動けませんでした.
2,3分ほどじっとしていたでしょうか.足にいくらか力を入れられるようになってきたので,ゆっくり,ゆっくり階段を上がり,17階まで移動.

いちどいすに座って,しばらく休みました.
その日は非常勤教員の皆さんとの懇談会と新任教員や退職教員の歓送迎会を兼ねた立食パーティーが開かれていましたが,それに参加しようと立ち上がったら,また動けない.

どうも,いちど座ると立てないらしい.こりゃ座っちゃいかんなということで,パーティーの間はずっと立っていました.(立食パーティーですから当然ですが.)
ずっと立っていると,足腰に違和感があるものの,それなりに歩けます.

その日は書類仕事が少しあり,懇談会のあとしばらく,机に向かっていました.
ずっと立っていると今度は座るときに痛みがあります.座るときには勇気が要りましたが,まぁしょうがないということで意を決して座り,書類を片付けました.
トイレに行くのが辛かった….

帰宅する電車では,これはもう座れない,座ったら立てないと思って,ずっと立っていました.
自宅でも,寝るまではなるべく座らず立っていました.寝るときは体を横にして丸め,エビのような格好で寝ると眠ることができました.

あとで思い出すと,9日は朝から,腰や太腿にしびれるような感覚がありました.昼間に痛みが走った部分です.たぶん同じ原因だったのでしょう.

次の日(10日)の朝に,京王八王子駅前の仁和会総合病院へ.
ずっと立っていると歩ける,ということが分かったので,ずっと立っていました.

レントゲンを撮って診てもらった結果,軽い腰椎椎間板ヘルニアだとの診断.
神経の炎症を抑える薬をもらい,一日3回飲みました.

その日は症状にあまり変化がありませんでしたが,薬を飲み続けたところ次の日は状況がぐっとよくなり,足にいくらか違和感があるものの動きにはほとんど支障なし.2日後(発症からだと3日後)には違和感もなくなり,これまでと同じ動きができるようになりました.

腰椎椎間板ヘルニアの症状を書いたリーフレットをもらったのですが,下肢にしびれが出ることがあるそうです.
この症状,金野は2,3年前から経験していました.まずは血流から疑いはじめ,今年のはじめに検査を受けて,「血流には問題ない」との結果をもらっていました.
そのときにお医者さんに「次に考えられるのは整形外科的な理由」と言われていたのですが,まさにその通りだったと言うことですね.

症状が治まってから1週間経ちましたが,今のところ再発していません.
しかし椎間板は,いちどつぶれてしまったら元に戻ることはないそうです.ですから,無理をすると同じ症状が再び出るかもしれない.

筋力が落ちて腰に負担がかかると,椎間板が圧迫されるそうですから,対策としては「体重を減らす」「筋力をつける」ということになります.うーむ,結局はそこに行き着きますか.

それと,ずっと同じ姿勢でいるのが悪いようです.金野の場合は座りっぱなしでいることがありますが,これが悪いのでしょう.
その後,机を工夫しましたが,そのことはまた別の機会に.

2011年3月20日日曜日

あくまで一般論だが,遠い方がより安全.しかしそれ以上のことは言えない

はじめにご注意申し上げます.
ここに述べることはすべて金野個人の,現時点(3月20日朝の時点)での見解です.金野が所属する団体の見解とは一切関係ありません.また,ここに書かれている内容に基づいて行動し,その結果として被害が出た場合に,金野は一切の責任を負いません.あくまで自己責任でご利用ください.
また,現在,福島第1原子力発電所の沈静化のために,生命の危機があるにもかかわらず懸命の努力をしていただいている皆様に,心から感謝と敬意を捧げます.以下では悪い結果を想定した議論もいたしますが,これは努力していただいている皆様の成功および安全を祈念しつつ書いているものであり,決してそのご努力を虚しく思って書くものではありません.この点を誤解なさらぬようお願いします.

さて,福島第1原子力発電所から放射性物質が飛散することが危惧されています.
現在(20日の朝)の時点では,3号機への放水による冷却は一定の効果を上げたとされていますが,たとえば4号機の使用済み核燃料貯蔵プールから大量の放射性物質が飛散する危険はまだ残されたままです.

これに対して,直ちに健康への影響はないとか,いや危ないから西へ逃げろとか,いろいろな意見をブログなどで目にしました.知り合いから質問されることもありました.
金野は放射能の専門家ではありませんが,ごく普通の技術者から見た視点として,思うところを書いてみます.

まず,○○kmより遠くは安全だからそこまで逃げろ,と言いきることはできないはずである,と考えます.

関西のある先生が「首都圏から避難が必要ないと言い切る専門家もいる。だが、この後、大量の放射性物質が飛んできた場合、この人はどう責任をとるのだろう。 」と疑問を投げかけ,「僕はネットで安全な西日本などへの「疎開」を呼びかけている。」と述べています.
諧謔的な混ぜっ返しを述べると,西日本に大量の放射性物質が飛んできた場合,この先生がどう責任を取るのか,金野は疑問です.その可能性はゼロではない.ただし下の方で述べるように,一般論として遠い方が放射性物質の飛散により被爆する可能性が低いことは間違いないと考えます.

「100%安全な場所まで避難地域に指定せよ」という意見も目にしましたが,そんな場所はありません.
たとえば昨日の報道によれば,アメリカ西海岸で微量ながら放射性物質が検出されており,日本から飛来したものと考えられています.
また,そもそも放射性物質だけが生命の危機ではないわけで,車に乗って移動するのも100%安全だとは言えないという意味で危険と言えば危険だし,電車や飛行機に乗って避難するのも同様です.ある特定の危険因子のみを忌避しようとするのは,他の危険因子を増やす可能性が高いです.
たとえば,極論ですが,放射性物質の摂取が怖いからと一切の食べ物,飲み物を取らずに長期間生活するのは,安全だと言えるでしょうか?

放射性物質の飛散のように,多くの複雑な因子が絡み合う現象に対して,未来に何が起こるかを断言できる人はいません.あくまで確率で語ることができるだけです.

そして,あくまで一般論ですが,今回のような移流拡散現象では,遠い方がより安全であること,つまり放射性物質が飛散したときに,近くよりも遠くの方が被爆する確率が相対的に低いことは,私のような素人技術者から見ても,間違いのない事実です.

ただし,それだけです.「どのぐらい遠ければ安全ですか」と言われれば「分からない」.
あるいは,もし金野が学生からこの質問をされたなら,金野は(教育的観点も含めて)「『安全』って何ですか,定義してください」と聞き返すことでしょう.一般の方からすればおそらく不愉快な返答ですが,それが分からなければ質問に答えられない.
もし「安全」の定義が「生命の危機が100%無いこと」であるなら,「そのような場所は地球上にも宇宙にも存在しません」というのが回答になります.

「安全」を「ただちに健康被害が出るほどの被爆を受けないこと」と定義した場合はどうか.
これに対する政府の現時点での見解が,半径20km以内は避難,20km~30kmの範囲は屋外退避,ということだと金野は解釈しています.
現時点までで報道されている放射線測定結果の情報によれば,半径30km地点で強い放射線を観測したがそれでも直ちに健康被害が出るほどではないそうですから,この範囲設定はおおよそ適切だったと思われます.

パニックを恐れて政府が正しい情報を隠しており,本当はもっと放射線測定値が高いから危険なのではないかと心配する人もいます.その場合はたとえば東京大学環境放射線情報などが参考になります.
ありとあらゆる測定値が嘘かもしれないと思うのでしたら,絶対値に基づく判断は無意味ですから,相対的に安全な地域に移動するしかない.つまり,とっとと日本から出て,できるだけ遠くへ行ってください.それしか対処方法はありません.
繰り返しになりますが,一般論として,放射性物質が飛散したときに,近くよりも遠くの方が被爆する可能性が相対的に低いのは間違いないです.
地球上で福島から最も遠い陸地は,アルゼンチンのVilla Gesell付近と思われます.円高気味だし,海外旅行もいいんじゃないですか.

金野は東京在住で,福島から250kmほど離れています.これは金野個人の事情などを含めた個人的な判断ですが,ここは十分に離れており,健康被害が出るほどの被爆を受けるリスクは金野が許容できる範囲である,と金野は判断しています.
繰り返しますが,あくまで金野個人の判断です.また一般論として,放射性物質が飛散したときに,近くよりも遠くの方が被爆する可能性が相対的に低い.

また,技術屋として「安全率2」というのをひとつの目安として考えています.現在政府は半径30km以内の地域に避難または屋内退避の指示を出しています.もし金野が,その2倍の半径60km以内の地域に住んでいるとしたら,より遠方への退避を検討すると思います.
ただしこれも金野の個人的な判断です.そもそも安全率というのは,念のために必要以上に安全な行動を取る指針に過ぎず,明確な根拠はありません.また,遠くに逃げたら「安全」になるわけではなく,あくまで被爆の確率が下がるだけです.

以上が,金野が今回の原発問題に対して,現時点(20日の朝の時点)で抱いている考えです.

2011年3月19日土曜日

大船渡の親戚は無事だったらしい

間接的な情報ですが,大船渡の親戚は無事だったようです.
両親が,災害伝言ダイヤルにメッセージが入っているのを確認しました.
子供の頃からとてもお世話になった叔父と叔母なので,生きていてくれてよかったです.

仕事の方では,学会2つと研究報告会,シンポジウムの実行委員会,研究打ち合わせ2件がキャンセルになって,えらく暇になりました.
親戚の無事も分かったので,空いた時間を論文執筆にでも使います.
とはいえ,節電も心がける必要がありますが.計算とか回せないなぁ.

19日は学位授与の日です.式典は中止になりましたが,学位記の配布は行います.

2011年3月18日金曜日

小淵沢の風景

少し前のことになりますが,3月初めに小淵沢の「星野リゾート リゾナーレ」に行って羽根を伸ばしてきました.

プールや露天風呂,食事を楽しんできました.リゾートホテルですが比較的安く,また八王子から近いので(電車で1時間半ぐらい),気軽に楽しめました.
平日に行ったので空いていたのもうれしかった.

今回は昼から行きましたが,その気になれば仕事を終えてから"あずさ"に乗って行くこともできる場所ですね.一度やってみようかな.

小淵沢に行ったのは初めてです.駅を通過したことですら,たぶん20年ぶりぐらい.
学生の頃,工場実習で行った九州から帰ってくるとき,わざと鈍行で遠回りをしたことがあります.最後は中央本線で東京に戻ったので,たぶんそのときには通っているはず.

2011年3月17日木曜日

いとこの名前が「大船渡市の避難所にいる方々の名簿」に

岩手日報がウェブページに掲載している「岩手県内の避難所にいる方々の名簿」の中に,いとこの家族の名前を見つけることができました.
いとこと,その旦那さん,子供たち二人の名前がありました.

大船渡市の海の近くに住んでいると聞いていたので,心配していましたが,よかった.

岩手日報さんありがとう!!
名前を見つけたのは16日の朝ですが,更新が「16日午前4時」となっていました.新聞社ですのでいつものことなのかもしれませんが,夜を徹しての情報提供,とてもありがたいです.

金野の実家(一ノ関20民区)では,昨夜に電気が復旧したそうです.固定電話も通じました.

八王子では15日の19時頃から2時間ほど,計画停電が実施されました.

2011年3月16日水曜日

PIV測定デモの見学

2日に西華産業のPIV計測のデモを見学させてもらいました.

PIV計測システムは,ほしいけれども,高くて手を出せない計測機器の一つです.大きな予算を獲得するか,あるいは自分たちで工夫するしかありません.

西華産業のPIVは3次元の時系列計測が可能な,たいへん優れた装置です.今回はこの装置のデモとして,キャリブレーションから実際の計測まで一連の作業を見学させてもらいました.
とても興味深いデモで,勉強になりました.

ほしいけれども先立つものが….自分たちで工夫するしかないかな.

2011年3月15日火曜日

ここ数日のこと

東北関東大震災(という名前になったようですね)による直接の被害は無かった金野ですが,間接的にいろいろな影響が出ています.

まず,いま(14日夜)の時点で,まだ実家と連絡が取れません.無事らしいという情報が親戚から寄せられましたが,それ以降も連絡が取れず.
大災害ですのでしょうが無いと思っていますが,いまの両親の状況が分からないのは心配です.
まぁ我慢するしかないですが.

個人的には,実は地震の2日前(9日)に腰を痛めたのですが,それはすっかりよくなりました.薬が効きました.
仁和会総合病院の整形外科のお医者さんありがとう.
顛末はそのうち紹介します.

仕事の方では,まず地震があった11日の夕方にいちど八王子校舎に行ったところ,夜にいぶきホールに集められて対応の説明を受けました.
金野はマイカー通勤していたので帰宅できましたが,電車が動かないため泊まり込んだ教職員,学生もいたようです.
新宿でも,学長はじめ多くの教職員が,帰宅困難者対応をしたと伺っています.金野は協力できませんでしたが,職員の皆さんのご努力に敬意を表します.

12日は,発電所に被害があり,停電の危険があると知らされたので,節電対応もかねて研究室のサーバ類を止めました.あとは自宅待機.

14日には武蔵越生高校での出張講座を担当する予定で,12,13日にはそれの準備もしたのですが,14日の計画停電の影響で八高線と東武越生線(武蔵越生高校の最寄り路線)が全面運休となり,出張講座も中止に.
講座中止は残念ですが,実家のことが気に掛かっている身としては,正直少しほっとするところもありました.事態が安定して,もう一度呼んでいただいたら,勤めさせていただく所存です.

うちの大学でも,当面は学生のキャンパスへの入構を原則禁止することになりました.
八王子では食料が売り切れ気味で,ガソリンスタンドには長い列ができています.金野は幸運にも当面の米と味噌,ガソリン,灯油は確保できています.

(3/15 10:55追記)岩手の家族と連絡が取れました.元気にしているそうです.
まずはよかった.
仙台にいた妹も,実家に戻っていました.父が迎えに行ったらしい.
実家のある場所では停電が続いているそうですが,水道は復旧したそうです.

2011年3月14日月曜日

浅川沿いに咲く梅

これもちょっと前,3月2日に撮った写真です.浅川沿いに咲く白梅.
この梅の横にもう1本紅梅があります.

浅川沿いには桜もたくさん植えられていて,4月になるととてもきれいなのですが,梅はそれほどたくさんは植えられていません.
日本人は桜の方が好きだからでしょうか.梅もとてもきれいなんですけどね.

散るときの美しさは桜かな.梅でもきれいなのかな.

八王子の近くですと,吉野梅郷の梅はとてもきれいで,たくさん植えられているので圧倒的です.
一昨年に行ったのですが,去年は行かなかったかな.今年も行ってみたい.

2011年3月12日土曜日

東北地方太平洋沖地震

昨日(11日),東北地方を中心に大きな地震がありました.
八王子でも大きな揺れを数回,小さな揺れは何度となく感じました.

被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます.

金野の周辺では被害はありませんでしたが,岩手の実家と連絡が通じません.
心配しています.

(3/13追記)家族と間接的に連絡が取れました.無事らしいです.
まだ直接は連絡できませんが,心が少しだけ軽くなりました.

2011年3月11日金曜日

トンネル換気勉強会2011

紋別の話題を続けたので間が空いてしまいましたが,2月25日にはトンネル換気勉強会が行われました.

毎年,うちの研究室主催で行っている勉強会で,関連する業界の方々が多数いらっしゃいます.今年は150人以上の方に来ていただいたようです.

金野も研究室の紹介をちょっとだけしました.

2011年3月10日木曜日

紋別出張で入手したもの

毎年,紋別ではカニを買っています.実家にも送ります.

まるとみ渡辺水産の毛ガニです.

冷蔵で届いたので,そのまま食べましたが,とてもおいしかった.ネットで毛ガニの食べ方(ばらし方)を調べて,その通りに食べました.

2011年3月9日水曜日

紋別出張2011・流氷

紋別の町から見た海には流氷がありませんでしたが,帰りの飛行機の中からは,流氷らしいものを見ることができました.

手前のほうに見えているのは,海水が夜に凍った氷だと思われます.本当の流氷は奥の方です.

2011年3月8日火曜日

紋別出張2011・紋別の雪,初代ガリンコ号

紋別は例年よりも暖かかったのですが(といってもここ数年,シンポジウムのたびに暖かいですが),そうはいっても北海道,雪はしっかり積もっています.

左の写真は,シンポジウムから空港に向かうバスの中から撮影した,初代ガリンコ号です.
(ガリンコ号IIへのリンクはこちら

2011年3月7日月曜日

紋別出張2011・大学のパンフレット


今回の北方圏国際シンポジウムでは,地元の高校生にも興味を持ってもらおうということで,大学案内のパンフレットを置くコーナーが作られました.

うちの大学も,入学課が全面協力してくださって,パンフレットを並べることができました.入って正面のいいところに置いてもらうことができました.

紋別の皆さんも,うちの大学に興味を持ってもらえるとよいのですが.

2011年3月5日土曜日

紋別出張2011・渡邉君の発表


例年の紋別出張では金野が発表していましたが,今年は4年生の渡邉君を連れて行って,発表してもらいました.
(金野は座長を1セッション担当したのみ.)

国際学会だから英語で発表するわけですが(写真の後ろの方に写っているのは皆さん外国から来た方々です),渡邉君は直前までみっちり練習して,何とか本番を乗り切りました.

日曜日の練習の時からは格段に進歩していましたから,よくやったと言ってよいのではないでしょうか.

2011年3月4日金曜日

紋別出張2011・レセプション




北方圏国際シンポジウムのときのレセプションの一こまです.
地元のかたがたによる太鼓の演奏.

このシンポジウムは,紋別市も主催者の中に入っていて,地元密着のシンポです.研究発表のほかに,地元の方々向けの公開講座があったりします.

2011年3月3日木曜日

さいきんの読書:大学破綻

大学破綻―合併、身売り、倒産の内幕」は,タイトルは過激かもしれませんが,内容はごくまじめな,大学の運営に対する提言をまとめた本です.

著者は桜美林大学などで大学経営に関わられた諸星裕氏.

提言の内容も,企業の経営に携わる方々から見るともしかしたらオーソドックスなものかもしれません.曰く,ミッションを確立せよとか,ニーズにマッチした授業を行えとか,大学のレベルにあった顧客(学生)を集めよ,などなど.

しかし実際に大学にいると,この普通のことが難しいのですよ.正直,レベルの高い学生がほしいし,入学生のレベルと出口でのレベル保証とを考えると,4年で卒業させるにはハードな授業も行わざるを得ない.

なのでこの本は,ほろ苦いおもしろさを感じる本でした.たとえば「レベルの高い学生がほしい」と思うことはうちの大学にとってよいことなのか,どうか? などと考えさせられました.

教員がひとりで悩んでもしかたのないことかもしれませんが,大学のミッションを理解し,それに合うような授業ができるように取り組むしかないですね.
来年度もがんばろう.

さいきんの読書:5万4千円でアジア大横断

アサヒコムの「クリックディープ旅」に記事を書いている下川裕治さんの本を買ってみました.3冊ほど買いましたが,最初に読んだのがこの「5万4千円でアジア大横断」です.

(上記の「クリックディープ旅」で「バックナンバー」をクリックすると,下の方に「アジアハイウェー」があります.それがこのアジア大横断時の写真です.)

ほぼ全行程をバスのみに乗り,東京からトルコまで行く,という紀行文です.5万4千円はその経費.下川さんは「12万円で世界を歩く」という本も書いていますが(買ったけどまた読んでない),貧乏旅行が得意? な旅行作家です.

金野にはとてもまねできませんが,貧乏旅行にはちょっとあこがれるものがあります.あまりアクティブでない割には,世界のいろんなところに行ってみたい.

でもバスだと,国によってはたいへんなようですね.逆に国によっては,ロシアなどとても遠くまでの直通バスがあるらしいのも驚きです.

航空運賃は,LCCが出現して価格破壊が進んでいますね.路線によっては1万円以下とか,キャンペーン価格だと1,000円を切ったりする場合もあるらしい.旅行で国外に出たのは,ずいぶん昔に台湾に行ったきりかな.
どこかに旅行に行きたくなる読書でした.

2011年3月2日水曜日

紋別出張2011・シンポジウム開会式



シンポジウム開会式らしからぬ写真ですが,この北方圏国際シンポジウムは,地元の大谷保育園の園児が毎年開会式で「おゆうぎ」をします.
上の写真がクリオネダンス,下がソーラン節です.

2011年3月1日火曜日

2月の反省

1月の反省のときとあまり状況が変わっていません….

1月の時点で「2月15日締切の講演論文もあるんだが.また英語.やばいなぁ.」と書いていた論文を仕上げるのに,月末までかかりました.
2月はじめに,もうこれは間に合わないと思って,締め切りの1週間ほど前に「間に合わないから月末まで待ってくれ」と事務局に懇願.何とか受け入れてもらい,月末までかけて仕上げました.
本当は英文校正に出したかったのだが時間切れ.

卒論や修論の締め切りがあって,そちらにかなり時間を取られました.いくら何でも自分の論文を優先するわけにはいかないので,しょうがないといえばしょうがないです.
でももう少しやりようというものがあったかな.論文の作り方にはまだまだ改善の余地があると思っています.本数を書いていないから,作り方が確立しないわけで,もっとどんどん書かないといけない.

今年の目標も,結局立てていません.いっそ4月からにしようかな.